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妙な緊張感のなか、固唾を飲んで見つめていた廊下の先に阿部さんが現れた。
焦るように二手に分かれた廊下で立ち止まる彼に手を振る。
合図を送る私に気が付と、離れたところからでもはっきりとわかるほど大きく肩を下げながら、険しそうにしていた表情が緩んだ。
パタパタと小走りで駆け寄る阿部さんを出迎えるため、ベンチから立ち上がろうと両足に力を込める。
途端に打撲した下半身のあちこちに筋肉痛のような鈍い痛みが走ったが、なんとなく、彼には悟られたくなくて奥歯をグッと噛み締めた。
徐々に近づいてくる彼に向かって張り付いた笑顔で手を振り続ける。
「Aさん！」
目の前まで来たら止まるだろうと思っていた阿部さんは、私の予想を裏切りそのままの勢いで飛び込んできた。
「良かったっ…！」
阿部さんの絞り出すような細い声が耳元で聞こえたのは、勢い余って後ろに倒れそうになる体を引き寄せるように、正面から強く抱きしめられたから。
ふわりと優しい香りが鼻を掠める。
予想外の行動に意表をつかれた私は声を上げることもできずにただ固まっていると、ハッとしたのは向こうだった。
慌てて距離を取り、離れていく。
一歩下がり、呆けている私の顔をまじまじと眺める阿部さん。
すると私が声を掛けるよりも早く、向こうから「バカ」と言葉をぶつけられた。
怒りと悲しさの滲む顔に言い返せるわけもなく、鳩尾の辺りがキュッと痛くなる。
こんな切羽詰まった阿部さんの顔なんて見たことがなかった。
私は口をはくはくと動かしながら、情けない声で「ごめんなさい」と謝ることしかできない。
「阿部さん、ごめんなさい」
もう一度呟くと、彼の手が伸びてきて両頬をそっと包み込んだ。
阿部さんが、私だけにやる変な癖。
栗皮色の瞳が揺らいでいる。
病院の蛍光灯の下でも、彼の瞳はキラキラと輝いていた。
その眼差しがあまりにも優しすぎるせいで、これまで気丈に振る舞っていた気持ちが緩んでしまいそうになる。
耐えろ
そう思ったら、鼻の奥がツンとした。
擦れた頬。
突き飛ばされ、訳も分からないうちに地面に体を打ち付けたことや、二の腕を切ったこと。
吐きそうになるくらいの痛みも、周りの悲鳴とか喧騒とか怒号とかも。
人前だからと耐えていたことが、どうして今になって押し寄せてくるんだ。
それもこれも、阿部さんの体温のせいだ。
必死に隠していた怖さや痛みが、溶かされていく。
そんなことないのに。
そんなわけないのに。
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作者名：泥濘 | 作成日時：2024年3月6日 17時
