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＊
ゆっくりと離れた阿部さんに顔を覗き込まれ、慌てて表情を切り替える。
「シートベルト、苦しくない？」
「う、うん。ありがとう」
嘘です。
本当はいまにも胸が張り裂けそうなほど苦しいです。
…なんて軽口を言える雰囲気でもなく、喉の奥で行き場をなくした感情を誤魔化すように、胸の前のシートベルトを左手でぎゅっと握りしめた。
阿部さんがシートベルトを締める。
エンジンをかけ、バックミラーの調節をしはじめたと思っていたら手が止まった。
「………」
「な、なにか？」
変な姿勢で動かなくなってしまった彼を心配して声をかけてみたものの、反応は鈍い。
左手をバックミラーで掴んだまま、腕の隙間からこちらを見ているような気がする。
「あの阿部さん、」
「あ、これ、膝にかけておきなよ」
私の言葉を遮るようにそう言うと、さっき返却したばかりの阿部さんのコートを私に押し付けてきた。
「運転に邪魔だから持ってて」なんて、うまいこと言いくるめられ、はぐらかされてしまったのだと理解する。
言われた通り、手触りの良いコートの裾が床につかないように注意しながら膝に広げると、すぐに横から手が伸びてきて手伝ってくれた。
こうして阿部さんに甲斐甲斐しく世話を焼かれるのは、風邪をひいたお正月以来だ。
あの時も今回も相応の理由があれど、人に手を貸されるのは私の性分に合わないと感じる。
たぶん気恥ずかしさで耳のてっぺんが赤くなってるはず。
なんて思っていると、阿部さんがまた動きを止め、私の腕──インナーの袖口から伸びる白い包帯を忌々しそうに見つめていた。
何か言いたそうな顔。
どうやら彼はこれがお気に召さないようだ。
無意識だろうが、眉間の間には二本の皺がぐっと寄っていた。
そっと彼の指先が持ち上がり、戸惑いながら空中を彷徨う。
包帯に触れようする仕草を見せ、だけど直前で動きを止める。
詰めていた息を鼻から静かに吐き出し、そのまま何事もなかったように運転席の背もたれに体を預けたかと思えば、また、ため息を吐いた。
私は彼の一連の行動を見ていたし、きっと阿部さんだってそんな私に気が付いていたはず。
だけどお互いに何も言うことはなかった。
というか、何を言ったらいいのか分からなかった。
空調は寒くないかと聞かれ、首を振る。
「じゃあ簡単な現場検証と事情聴取あるから、これから一旦テレビ局に戻るよ」
一瞬なんのことか分からずに呆けたが、すぐに自分の置かれている状況を思い出した。
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作者名：泥濘 | 作成日時：2024年3月6日 17時
